ハプニング [映画 は行]
いまごろになって「ハプニング」を観ました。
M・ナイト・シャマランの映画は、シックス・センス → アンブレイカブル → サイン → ヴィレッジ → レディ・イン・ザ・ウォーター と観て来て、レディ・イン・ザ・ウォーター で、ガックシ来てしまって、その後の ハプニング には、好きなズーイー・デシャネルが出ているのは分かっていたけれど、もう、ガックシ来たくないので劇場には行けませんでした。
Wowowで放送しても、さすがに録画はしたんだけれど、勇気が出なくて観ないで放置…の状態でした。
先月、エアベンダーを観て、1つだけ観ていないのが気になってしまったので、観ました。
(なんじゃそれ!?と自分でも思うが、そういう性格なんです。)
…んで、ハプニング ですが、ズーイー・デシャネルはかわいかったけれど、それだけですべて許すわけにはいかない です。
この映画、結局、何が起こったのかをハッキリさせないまま終わらせているところがモヤモヤして気に喰わない。
ラストで、あ!まただ....となるけれど、根本のところで現象をハッキリさせていない。
「植物の堪忍袋の緒が切れたようだ」ってのも、あくまで、ある登場人物が言ったことを基にした主人公の解釈が紹介されているに過ぎなくて、それが正解とも違うとも描かれていない。
監督はあくまで観客に委ねるつもりなのか、突き放している。
確かにそういう映画もあると思う。 でも、コレはシャマラン作品。 私としては、シャマラン作品には「ラストに決して観てないヒトにバラしてはいけないオチ」があって欲しい
シャマラン映画には、シックス・センス以来、必ずオチがあった。 「えぇ~っ!! こんだけ引っ張ってそのオチですかぁ!?」ということは、しばしばあったけれど、それでもオチはあったんです。(私はシャマラン作品は「今度はどんなオチで肩スカシをしてくるだろう…」と思いながら観に行っていました。)
ところが、レディ・イン・ザ・ウォーター で、「え?コレでオシマイ?! オチは!?」となってしまいました。ファンタジーなのかも知れないが、余りにも多くのことがワケがわからないまま放置されているし、「トラウマからの救済」、「どんな人間にも発揮すべき役割があり、活躍の場と機会はきっとある」等を描くにしても、もう少し理屈の整理が要るだろう・・・と。
シックスセンスをダントツの筆頭に、初期シャマラン作品には「描きたいテーマと意外なオチの組み合わせの妙」があったと思います。(日本人には少しピンと来にくい「宗教観」をベースに現代アメリカの「暗部」を描くことによって)
シックス・センスが一番鮮やかに決まり、以降、徐々に切れ味が鈍り、ヴィレッジで少しだけ復活したかな…と思わせて、レディ・イン・ザ・ウォーターで、「あ!もうダメだ。(オチが無く、中途半端かつ素人の思い付きのようなレベル...)今後は観るのを止めよう。」と心底ガッカリして、ハプニングを観るのは止めたのに、「エア・ベンダー」でガッカリの上塗り(「もう観ない」の上塗り)をしつつ、「でもハプニングだけ観てないというのもちょっとなぁ...」と思ったのがウンの尽き。
あぁ、決心というのは貫くべきものです。。。。
【鑑賞日:2010年8月28日】
M・ナイト・シャマランの映画は、シックス・センス → アンブレイカブル → サイン → ヴィレッジ → レディ・イン・ザ・ウォーター と観て来て、レディ・イン・ザ・ウォーター で、ガックシ来てしまって、その後の ハプニング には、好きなズーイー・デシャネルが出ているのは分かっていたけれど、もう、ガックシ来たくないので劇場には行けませんでした。
Wowowで放送しても、さすがに録画はしたんだけれど、勇気が出なくて観ないで放置…の状態でした。
先月、エアベンダーを観て、1つだけ観ていないのが気になってしまったので、観ました。
(なんじゃそれ!?と自分でも思うが、そういう性格なんです。)
…んで、ハプニング ですが、ズーイー・デシャネルはかわいかったけれど、それだけですべて許すわけにはいかない です。
この映画、結局、何が起こったのかをハッキリさせないまま終わらせているところがモヤモヤして気に喰わない。
ラストで、あ!まただ....となるけれど、根本のところで現象をハッキリさせていない。
「植物の堪忍袋の緒が切れたようだ」ってのも、あくまで、ある登場人物が言ったことを基にした主人公の解釈が紹介されているに過ぎなくて、それが正解とも違うとも描かれていない。
監督はあくまで観客に委ねるつもりなのか、突き放している。
確かにそういう映画もあると思う。 でも、コレはシャマラン作品。 私としては、シャマラン作品には「ラストに決して観てないヒトにバラしてはいけないオチ」があって欲しい
シャマラン映画には、シックス・センス以来、必ずオチがあった。 「えぇ~っ!! こんだけ引っ張ってそのオチですかぁ!?」ということは、しばしばあったけれど、それでもオチはあったんです。(私はシャマラン作品は「今度はどんなオチで肩スカシをしてくるだろう…」と思いながら観に行っていました。)
ところが、レディ・イン・ザ・ウォーター で、「え?コレでオシマイ?! オチは!?」となってしまいました。ファンタジーなのかも知れないが、余りにも多くのことがワケがわからないまま放置されているし、「トラウマからの救済」、「どんな人間にも発揮すべき役割があり、活躍の場と機会はきっとある」等を描くにしても、もう少し理屈の整理が要るだろう・・・と。
シックスセンスをダントツの筆頭に、初期シャマラン作品には「描きたいテーマと意外なオチの組み合わせの妙」があったと思います。(日本人には少しピンと来にくい「宗教観」をベースに現代アメリカの「暗部」を描くことによって)
シックス・センスが一番鮮やかに決まり、以降、徐々に切れ味が鈍り、ヴィレッジで少しだけ復活したかな…と思わせて、レディ・イン・ザ・ウォーターで、「あ!もうダメだ。(オチが無く、中途半端かつ素人の思い付きのようなレベル...)今後は観るのを止めよう。」と心底ガッカリして、ハプニングを観るのは止めたのに、「エア・ベンダー」でガッカリの上塗り(「もう観ない」の上塗り)をしつつ、「でもハプニングだけ観てないというのもちょっとなぁ...」と思ったのがウンの尽き。
あぁ、決心というのは貫くべきものです。。。。
【鑑賞日:2010年8月28日】
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