十三人の刺客 [映画 さ行]
十三人の刺客 を観てきました
見応えあります 傑作です
稲垣吾郎がなかなかすごかったと思います。
正直、SMAPとしてしか知らなかった…に近いので、無表情で凶悪なことを平然とするあたり、スゴイ芝居をするんだな…と完全に印象を改めました。
(キャスティングとしてもすごくシックリハマりました。稲垣本人がなんかチョーエツした感じを持っているから、でしょうか。。。。)
途中、何度も稲垣演じる松平斉韶について「やっぱり狂っているんだ」「いや、余りに虚無的になってしまって、殺して欲しくてこんなことをしているんだ」「それにしても、やること酷過ぎ。もはや人間ではない」「自分で死ぬ勇気はなくて、切腹を命じられるにせよ、暗殺されるにせよ、死にたいからこその行動」とか、いろいろな考え・解釈が頭の中を駆け巡ります。 別段何が正解と言うこともない(むしろ、どちらも外れ?!)ので、そういういろいろを感じさせ・考えさせた稲垣吾郎の演技が素晴らしかったのだと思います。
この映画、作りがホントに丁寧、かつ、リアルで、屋敷内のシーンはロウソクの灯りだけ風で暗くするあたりのリアルさ(さすがにホントにそれだと高感度カメラじゃないと映らなくて画風が変わっちゃうので照明している模様)とか、女優陣の化粧が結婚していたら眉を落としてお歯黒で…と一瞬誰だかわからない感じ。谷村美月もよぉ~く考えてから、ようやく誰だかわかるレベルでした。(「いまどきの美人・かわいい」じゃなくなってしまうのでちょっと損してるかも。なにごとも挑戦なのでしょうか。)
冒頭の、松平斉韶の最凶の暴君振りを示すエピソードやら、刺客の仲間集めやらが淡々と進んでいくあたり、何やら黒澤明風の印象も。 こう言ってはナンですが、とてもヤッターマンの監督とは思えません。
この感じ、日本でも本格時代劇としておおいにウケると思うけれど、海外での方が黒澤神話にあやかった感じで「第二のクロサワ」とか、ウケるかも知れないという気がしました。 少なくとも、シナリオ難で悩み深いハリウッドからリメーク(再リメーク?)のオファーがあっても何の不思議もないと思える仕上がりの良さでした。
【以下、ネタばれ含む、細かな話....】
もちろん、役所広司(御目付・島田新左衛門)も良いですが、このヒトとか松本幸四郎(尾張藩・木曽上松陣屋詰・牧野靱負)とかは今さらいろいろ言うまでもない、良くて当然のヒトなので、特にコメントはないです。
最近、いろいろなところで見掛ける伊勢谷友介(山の民・野人・木賀小弥太)はちょっとトリックスター的な役どころ。「十三人」の1人で「十三人目」なのだけれど、やはりサムライではないのでそういう縛り・制約・発想からは無縁。ひとり独特の立ち位置を占めているのだけれど、その役どころを巧く演じていたと思う。
仲間に加わるところで超人的に身体が丈夫・頑丈であることを示すエピソードとして、太い木の棒やもっと太い大枝で思いっきり頭をぶん殴っても何ともなくて平然と「(用は)なに?」「だから、なに?」というやりとりがあったけれど、ここは笑えた。(しかもラストの重要な伏線) 私は思わず、ウルフガイ・犬神明かと思ってしまった。。。。(ほぼ当たり?!)
女優陣としては吹石一恵が顔がわかる化粧で出ていましたが、コレがまるで関係の無い役の一人二役。一瞬、「アレレ???付いて来ちゃったらこんな恰好になっちゃったの?!すんごく苦労したんだね...」と頭が混乱しました。(なんで別々の女優にしないんだろう?ものすごくいい女の象徴として出てる?!)
いろいろな年代層の役者が居て、各々のフィールドがあるので、演技のタイプがいろいろな感じはありました。 例えば平幹二朗(老中・土井大炊頭)はやけに重々しい感じ。でも役職も役職なので相応の重厚さともいえます。 松方弘樹(御徒目付組頭・倉永佐平太)がつい殺陣で見得を切ってしまうところなどはちょっとニヤニヤしてしまいました(なんか、立ち廻りが自分のフィールドって感じで活き活きしてたなぁ)。
井原剛志(浪人・平山九十郎)の半端じゃない強さもなかなかカッコ良かった。
市村正親(明石藩御用人・鬼頭半兵衛)は劇団四季出身のミュージカルのヒトなのにかなり歌舞伎っぽいような今風ではない演技な感じがしました(舞台っぽいのかなぁ...)。演じている鬼頭が武士である以上はどんな主君にでも忠義を尽くすという古風なタイプだったからでしょうか。
ただ、このヒトが何があっても主君に忠義を尽くしてしまったからこそ、明石藩側の他の300人もここで闘って、
泰平の世の中なのにこんな殿様のために死ななきゃならなくなっちゃったんですけど。。。(侍って虚しい)
役所広司(島田新左衛門)と市村正親(鬼頭半兵衛)の同門で互いに相手を知り尽くした同士の闘いは、冒頭から最後までずっと迫力と緊張感を保ちます。
本当にすごい映画だと思います。
・どんな主君であろうと主君にはとことん忠義を尽くして…と必死になった挙句、
首を松平斉韶に蹴られて、犬死にも等しい鬼頭
・天下万民のための暗殺といいつつも、その荒っぽい手を選んだ理由は何のことはない
将軍様のご意向(腹違いの弟に対し御咎めなし)には表立って逆らえないから…と
という点では「封建制の呪縛」の中に首までどっぷり浸かったままの島田新左衛門
(と老中・土井大炊頭)
→ 結果、実行犯の島田新左衛門は刺し違えて死ぬしかなかった(元々、生還の想定は無し)
・島田側も明石藩側も文字通り「みなごろし」になったわけだけれども、島田新左衛門側は
自発的な参加だからまだしも、明石藩側は侍である以上個人の考えがどうあろうと
不参加の路はなかった。。。(坂本龍馬じゃないんだから脱藩なんてできないし。)
…ところで、300人よりずいぶん多いいんじゃないか、まだ居るのか!?と感じたのは私だけ
・最後に生き残ったのは、侍の生き方と存在に疑問を感じて荒れまくっていた新人類の
ハシリ?の島田新六郎(山田孝之)と、侍とは別の世界で仕来たりや制約から超越して
生きる山の民の木賀小弥太(伊勢谷友介)だけ。。。。。
侍って、結局、悲しいですね。。。。
この時、島田新六郎が二十歳として(昔は十五で元服だし...)だいたい坂本龍馬の10歳上くらいの見当でしょうか。。。(龍馬が基準かっ!?)日本の夜明けは近いぜよ!!と言うべきか、封建社会の闇を嘆くべきか。。。。
見応えあります 傑作です
稲垣吾郎がなかなかすごかったと思います。
正直、SMAPとしてしか知らなかった…に近いので、無表情で凶悪なことを平然とするあたり、スゴイ芝居をするんだな…と完全に印象を改めました。
(キャスティングとしてもすごくシックリハマりました。稲垣本人がなんかチョーエツした感じを持っているから、でしょうか。。。。)
途中、何度も稲垣演じる松平斉韶について「やっぱり狂っているんだ」「いや、余りに虚無的になってしまって、殺して欲しくてこんなことをしているんだ」「それにしても、やること酷過ぎ。もはや人間ではない」「自分で死ぬ勇気はなくて、切腹を命じられるにせよ、暗殺されるにせよ、死にたいからこその行動」とか、いろいろな考え・解釈が頭の中を駆け巡ります。 別段何が正解と言うこともない(むしろ、どちらも外れ?!)ので、そういういろいろを感じさせ・考えさせた稲垣吾郎の演技が素晴らしかったのだと思います。
この映画、作りがホントに丁寧、かつ、リアルで、屋敷内のシーンはロウソクの灯りだけ風で暗くするあたりのリアルさ(さすがにホントにそれだと高感度カメラじゃないと映らなくて画風が変わっちゃうので照明している模様)とか、女優陣の化粧が結婚していたら眉を落としてお歯黒で…と一瞬誰だかわからない感じ。谷村美月もよぉ~く考えてから、ようやく誰だかわかるレベルでした。(「いまどきの美人・かわいい」じゃなくなってしまうのでちょっと損してるかも。なにごとも挑戦なのでしょうか。)
冒頭の、松平斉韶の最凶の暴君振りを示すエピソードやら、刺客の仲間集めやらが淡々と進んでいくあたり、何やら黒澤明風の印象も。 こう言ってはナンですが、とてもヤッターマンの監督とは思えません。
この感じ、日本でも本格時代劇としておおいにウケると思うけれど、海外での方が黒澤神話にあやかった感じで「第二のクロサワ」とか、ウケるかも知れないという気がしました。 少なくとも、シナリオ難で悩み深いハリウッドからリメーク(再リメーク?)のオファーがあっても何の不思議もないと思える仕上がりの良さでした。
【以下、ネタばれ含む、細かな話....】
もちろん、役所広司(御目付・島田新左衛門)も良いですが、このヒトとか松本幸四郎(尾張藩・木曽上松陣屋詰・牧野靱負)とかは今さらいろいろ言うまでもない、良くて当然のヒトなので、特にコメントはないです。
最近、いろいろなところで見掛ける伊勢谷友介(山の民・野人・木賀小弥太)はちょっとトリックスター的な役どころ。「十三人」の1人で「十三人目」なのだけれど、やはりサムライではないのでそういう縛り・制約・発想からは無縁。ひとり独特の立ち位置を占めているのだけれど、その役どころを巧く演じていたと思う。
仲間に加わるところで超人的に身体が丈夫・頑丈であることを示すエピソードとして、太い木の棒やもっと太い大枝で思いっきり頭をぶん殴っても何ともなくて平然と「(用は)なに?」「だから、なに?」というやりとりがあったけれど、ここは笑えた。(しかもラストの重要な伏線) 私は思わず、ウルフガイ・犬神明かと思ってしまった。。。。(ほぼ当たり?!)
女優陣としては吹石一恵が顔がわかる化粧で出ていましたが、コレがまるで関係の無い役の一人二役。一瞬、「アレレ???付いて来ちゃったらこんな恰好になっちゃったの?!すんごく苦労したんだね...」と頭が混乱しました。(なんで別々の女優にしないんだろう?ものすごくいい女の象徴として出てる?!)
いろいろな年代層の役者が居て、各々のフィールドがあるので、演技のタイプがいろいろな感じはありました。 例えば平幹二朗(老中・土井大炊頭)はやけに重々しい感じ。でも役職も役職なので相応の重厚さともいえます。 松方弘樹(御徒目付組頭・倉永佐平太)がつい殺陣で見得を切ってしまうところなどはちょっとニヤニヤしてしまいました(なんか、立ち廻りが自分のフィールドって感じで活き活きしてたなぁ)。
井原剛志(浪人・平山九十郎)の半端じゃない強さもなかなかカッコ良かった。
市村正親(明石藩御用人・鬼頭半兵衛)は劇団四季出身のミュージカルのヒトなのにかなり歌舞伎っぽいような今風ではない演技な感じがしました(舞台っぽいのかなぁ...)。演じている鬼頭が武士である以上はどんな主君にでも忠義を尽くすという古風なタイプだったからでしょうか。
ただ、このヒトが何があっても主君に忠義を尽くしてしまったからこそ、明石藩側の他の300人もここで闘って、
泰平の世の中なのにこんな殿様のために死ななきゃならなくなっちゃったんですけど。。。(侍って虚しい)
役所広司(島田新左衛門)と市村正親(鬼頭半兵衛)の同門で互いに相手を知り尽くした同士の闘いは、冒頭から最後までずっと迫力と緊張感を保ちます。
本当にすごい映画だと思います。
・どんな主君であろうと主君にはとことん忠義を尽くして…と必死になった挙句、
首を松平斉韶に蹴られて、犬死にも等しい鬼頭
・天下万民のための暗殺といいつつも、その荒っぽい手を選んだ理由は何のことはない
将軍様のご意向(腹違いの弟に対し御咎めなし)には表立って逆らえないから…と
という点では「封建制の呪縛」の中に首までどっぷり浸かったままの島田新左衛門
(と老中・土井大炊頭)
→ 結果、実行犯の島田新左衛門は刺し違えて死ぬしかなかった(元々、生還の想定は無し)
・島田側も明石藩側も文字通り「みなごろし」になったわけだけれども、島田新左衛門側は
自発的な参加だからまだしも、明石藩側は侍である以上個人の考えがどうあろうと
不参加の路はなかった。。。(坂本龍馬じゃないんだから脱藩なんてできないし。)
…ところで、300人よりずいぶん多いいんじゃないか、まだ居るのか!?と感じたのは私だけ
・最後に生き残ったのは、侍の生き方と存在に疑問を感じて荒れまくっていた新人類の
ハシリ?の島田新六郎(山田孝之)と、侍とは別の世界で仕来たりや制約から超越して
生きる山の民の木賀小弥太(伊勢谷友介)だけ。。。。。
侍って、結局、悲しいですね。。。。
この時、島田新六郎が二十歳として(昔は十五で元服だし...)だいたい坂本龍馬の10歳上くらいの見当でしょうか。。。(龍馬が基準かっ!?)日本の夜明けは近いぜよ!!と言うべきか、封建社会の闇を嘆くべきか。。。。
2010-09-26 23:30
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