ウルフ・オブ・ウォールストリート [映画 あ行]
◆ ウルフ・オブ・ウォールストリート
80年代から90年代のウォール街で“狼”と呼ばれた実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回顧録『ウォール街狂乱日記』を、「ディパーテッド」「シャッター アイランド」のマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演コンビで映画化したピカレスク伝記ドラマ。20代で億万長者にのし上がり、30代で逮捕されるまでのあまりにも破天荒すぎる栄光と転落の物語を描く。共演はジョナ・ヒル、マーゴット・ロビー、マシュー・マコノヒー。
80年代後半のウォール街。証券マンのジョーダン・ベルフォートは26歳で会社を設立すると、富裕層をカモにそのモラルなき巧みなセールストークで瞬く間に会社を社員700人の大企業へと成長させ、自らも年収49億円の億万長者となる。ドラッグでキメまくり、セックスとパーティに明け暮れた彼のクレイジーな豪遊ライフは衆目を集め、いつしか“ウォール街の狼”と呼ばれて時代の寵児に。当然のように捜査当局もそんな彼を放ってはおかなかったが…。
【鑑賞日:2014年2月2日(日)】
ディカプリオの熱演ぶりはスゴイ 他の誰かにこの役ができるか…というと、できそうもない。 演じるのに消耗しきってしまって「しばらく休業」と、言いたくなるのも十分納得の熱演ぶりではあった。 他の役者もみんななりきっちゃって、役者はみんなスゴイんだけれど、映画そのものは、個人的には、冒頭からあんまり気持ち良くなかった。
昼間っから酒喰らって、薬やって、それでようやく神経が正常に保たれるって、いったい何? マシュー・マコノヒーの演じる上司は、超一流証券会社(ロスチャイルド?)の社長なのに、常軌を逸している。 こんなのが当たり前の世界って何????
アメリカン・ハッスルは、ハッキリと詐欺の話。この映画も証券取引の皮を被ったほとんど詐欺の話(…と書いちゃうと語弊があるんだろうか....)
だって、言動に「犯意」「故意」がありありと出ているわけで、「騙される奴の方がバカなんだ.....」っていうビジネスの仕方をこんなに堂々とあっけらかんと描いた話を持て囃し、面白がっていて良いのだろうか....
監督のスコセッシととディカプリオの意図は決して犯罪者の礼賛にあるワケではなく、カネさえ稼げればという狂った風潮や、参加費を払って「金儲けセミナー」に出掛けて行き、『司法取引で早目に出所した証券詐欺犯人のありがたいお話を拝聴に行く連中』を醒めた眼で、突き放して描くことにあるんだろうと勝手に想像しているけれども、映画っちゅうモノは、多くの場合観客は主人公に感情移入するわけで、この第三者的に淡々とした醒めた描き方だと「ジョーダン・ベルフォート cool」とか「俺もあんな風に稼ぎたい」とか言い出す勘違いの弩阿呆どもが山盛り出てこないとも限らない。・・・・で、それは結果的に社会に害を為しかねない、と思っている。れっきとした犯罪なのに犯罪としての描き方が弱過ぎる。
日本のAIJ投資顧問の事件やインサイダー取引の事件でも、得られる経済的利得が莫大であるにも拘らず、バランスとして、犯罪としての処罰が軽い、という議論がある。なんだか、やったもの勝ち、これしか処罰がないなら、捕まるとは限らないし、一か八かやってみちゃえ…という感覚を助長する…という議論。
アメリカには、司法取引の制度があり(※)、さらに短期間で出て来ちゃうから、余計に処罰感が薄い。
※ 私はコレはとんでもなく悪い制度だと個人的に思っている。
以前、完全なる報復という映画のレビューで書いています。(ここをクリック → ▼ )
…で、映画末尾で描かれるように金儲けセミナーで講師なんかして稼げてしまう。悪事で稼いだ金は没収されただろうけれど、隠し口座はスイス以外やスイスの他の口座もあるかも知れないし(有ったら、そこは映画に出さないからね....)、彼は今後も喰っていくにはちっとも困らない・・・・。
オマケに手記(この映画の原作本)はバカ売れだし、この映画のために原作料も膨大なものが入っただろうし、興行収入からも何%かは懐に入るのかも....(根拠のない憶測です)。
要するに、若くして働かなくても喰って行ける楽隠居状態で、そうなると、どう考えても本当に反省なんかしているわけがない(再び、根拠のない憶測です)。
そもそもが、チンピラ、ゴロツキ、麻薬の売人といった連中を教育して屑株を売り、株価操縦をして値を釣り上げ、自分たちだけ売り抜けてぼろ儲けし、ツケはすべて自分たちが騙した顧客に回す…というとんでもないビジネスモデル。 みんなして麻薬でラリって、職場のパーティーにストリッパーや売春婦を呼んで乱痴気騒ぎをし、飛行機に乗っちゃファーストクラスでラリって乱痴気騒ぎをしてスチューワーデスにまでセクハラを繰り返すというヤカラ。 反省なんかするわけがない(みたび、根拠のない憶測です)。
・・・・なので、こんな映画を金を払って観に行っちゃイケナイんじゃないかと思うわけです。(はい、私も観てしまいました。シネコンのポイントで観たんですが、経済的には6ポイント≒1,500円相当の経済価値を消費しました。反省しています。) 僅かでも、彼らの懐に入る可能性のあるカネならば、そういうのは不愉快だし不本意だし....(後の祭りですが。)
ディカプリオの熱演は、先ほども書いた通り、賞賛に値するレベルです。 せっかくの熱演の主演作をくさして申し訳ないとは思うんですが、やっぱり映画を支持はできないと思うわけです。 なんでコレを映画化して演じたいと思ったんだろう??? センス悪いと思うんだよね....
そういえば、日本での宣伝の仕方も気に喰わないんだな、私は....
宣伝のコピーとか、犯罪としての扱いじゃないもの..... 完全に持て囃してる。 どうかしてると、強く思う
同じディカプリオの華麗なるギャツビー(ここをクリック → ▼ )も、狂乱のどんちゃん騒ぎのパーティーが描かれていて、なんとなく、誤解して同列に比較してしまいたくなりそうだけれども、全くの別物。
■ ギャツビーは、なんやかんや言って、パーティーの余興。押さえるところは押さえていて、そこより下衆な騒ぎにはしていない。
■ ギャツビーは、昔の恋人の注意を惹くための手段としての派手なパーティー。ギャツビー自体が楽しんでいたわけではなく、喧騒を避け湖畔に出たりと、醒めた傍観者の立場(主催者だけど参加者ではない。)
■ ギャツビーの物語は、なんやかんや言って純愛物語。
対して、
■ ウルフ…は、欲望全開・欲望のままの乱痴気騒ぎで、下品でお下劣、下衆の極み。ドラッグに乱交と犯罪レベル。
■ ウルフ…の、ジョーダン・ベルフォートは自らが先頭で率先して騒いで煽って、完全に騒ぎの中心に居る立ち位置。
■ ウルフ…の、乱痴気騒ぎは同情・共感の余地ゼロ
この映画を面白くないとは言わないが、観終わってしばらくしたら、ジワジワと後味の悪さが広がってきた。この映画に感動するポイントがあるとも思えなかった。
オネーサン方は美人だったけれど、だからもう一度劇場に行こうとは思わない。
2014/1/31(金)公開
80年代から90年代のウォール街で“狼”と呼ばれた実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回顧録『ウォール街狂乱日記』を、「ディパーテッド」「シャッター アイランド」のマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演コンビで映画化したピカレスク伝記ドラマ。20代で億万長者にのし上がり、30代で逮捕されるまでのあまりにも破天荒すぎる栄光と転落の物語を描く。共演はジョナ・ヒル、マーゴット・ロビー、マシュー・マコノヒー。
80年代後半のウォール街。証券マンのジョーダン・ベルフォートは26歳で会社を設立すると、富裕層をカモにそのモラルなき巧みなセールストークで瞬く間に会社を社員700人の大企業へと成長させ、自らも年収49億円の億万長者となる。ドラッグでキメまくり、セックスとパーティに明け暮れた彼のクレイジーな豪遊ライフは衆目を集め、いつしか“ウォール街の狼”と呼ばれて時代の寵児に。当然のように捜査当局もそんな彼を放ってはおかなかったが…。
≪ all cinema online より ≫
【鑑賞日:2014年2月2日(日)】
ディカプリオの熱演ぶりはスゴイ 他の誰かにこの役ができるか…というと、できそうもない。 演じるのに消耗しきってしまって「しばらく休業」と、言いたくなるのも十分納得の熱演ぶりではあった。 他の役者もみんななりきっちゃって、役者はみんなスゴイんだけれど、映画そのものは、個人的には、冒頭からあんまり気持ち良くなかった。
昼間っから酒喰らって、薬やって、それでようやく神経が正常に保たれるって、いったい何? マシュー・マコノヒーの演じる上司は、超一流証券会社(ロスチャイルド?)の社長なのに、常軌を逸している。 こんなのが当たり前の世界って何????
アメリカン・ハッスルは、ハッキリと詐欺の話。この映画も証券取引の皮を被ったほとんど詐欺の話(…と書いちゃうと語弊があるんだろうか....)
だって、言動に「犯意」「故意」がありありと出ているわけで、「騙される奴の方がバカなんだ.....」っていうビジネスの仕方をこんなに堂々とあっけらかんと描いた話を持て囃し、面白がっていて良いのだろうか....
いや、イカン!!と思っているわけなんですが.....
監督のスコセッシととディカプリオの意図は決して犯罪者の礼賛にあるワケではなく、カネさえ稼げればという狂った風潮や、参加費を払って「金儲けセミナー」に出掛けて行き、『司法取引で早目に出所した証券詐欺犯人のありがたいお話を拝聴に行く連中』を醒めた眼で、突き放して描くことにあるんだろうと勝手に想像しているけれども、映画っちゅうモノは、多くの場合観客は主人公に感情移入するわけで、この第三者的に淡々とした醒めた描き方だと「ジョーダン・ベルフォート cool」とか「俺もあんな風に稼ぎたい」とか言い出す勘違いの弩阿呆どもが山盛り出てこないとも限らない。・・・・で、それは結果的に社会に害を為しかねない、と思っている。れっきとした犯罪なのに犯罪としての描き方が弱過ぎる。
日本のAIJ投資顧問の事件やインサイダー取引の事件でも、得られる経済的利得が莫大であるにも拘らず、バランスとして、犯罪としての処罰が軽い、という議論がある。なんだか、やったもの勝ち、これしか処罰がないなら、捕まるとは限らないし、一か八かやってみちゃえ…という感覚を助長する…という議論。
アメリカには、司法取引の制度があり(※)、さらに短期間で出て来ちゃうから、余計に処罰感が薄い。
※ 私はコレはとんでもなく悪い制度だと個人的に思っている。
以前、完全なる報復という映画のレビューで書いています。(ここをクリック → ▼ )
…で、映画末尾で描かれるように金儲けセミナーで講師なんかして稼げてしまう。悪事で稼いだ金は没収されただろうけれど、隠し口座はスイス以外やスイスの他の口座もあるかも知れないし(有ったら、そこは映画に出さないからね....)、彼は今後も喰っていくにはちっとも困らない・・・・。
オマケに手記(この映画の原作本)はバカ売れだし、この映画のために原作料も膨大なものが入っただろうし、興行収入からも何%かは懐に入るのかも....(根拠のない憶測です)。
要するに、若くして働かなくても喰って行ける楽隠居状態で、そうなると、どう考えても本当に反省なんかしているわけがない(再び、根拠のない憶測です)。
そもそもが、チンピラ、ゴロツキ、麻薬の売人といった連中を教育して屑株を売り、株価操縦をして値を釣り上げ、自分たちだけ売り抜けてぼろ儲けし、ツケはすべて自分たちが騙した顧客に回す…というとんでもないビジネスモデル。 みんなして麻薬でラリって、職場のパーティーにストリッパーや売春婦を呼んで乱痴気騒ぎをし、飛行機に乗っちゃファーストクラスでラリって乱痴気騒ぎをしてスチューワーデスにまでセクハラを繰り返すというヤカラ。 反省なんかするわけがない(みたび、根拠のない憶測です)。
・・・・なので、こんな映画を金を払って観に行っちゃイケナイんじゃないかと思うわけです。(はい、私も観てしまいました。シネコンのポイントで観たんですが、経済的には6ポイント≒1,500円相当の経済価値を消費しました。反省しています。) 僅かでも、彼らの懐に入る可能性のあるカネならば、そういうのは不愉快だし不本意だし....(後の祭りですが。)
ディカプリオの熱演は、先ほども書いた通り、賞賛に値するレベルです。 せっかくの熱演の主演作をくさして申し訳ないとは思うんですが、やっぱり映画を支持はできないと思うわけです。 なんでコレを映画化して演じたいと思ったんだろう??? センス悪いと思うんだよね....
そういえば、日本での宣伝の仕方も気に喰わないんだな、私は....
宣伝のコピーとか、犯罪としての扱いじゃないもの..... 完全に持て囃してる。 どうかしてると、強く思う
同じディカプリオの華麗なるギャツビー(ここをクリック → ▼ )も、狂乱のどんちゃん騒ぎのパーティーが描かれていて、なんとなく、誤解して同列に比較してしまいたくなりそうだけれども、全くの別物。
■ ギャツビーは、なんやかんや言って、パーティーの余興。押さえるところは押さえていて、そこより下衆な騒ぎにはしていない。
■ ギャツビーは、昔の恋人の注意を惹くための手段としての派手なパーティー。ギャツビー自体が楽しんでいたわけではなく、喧騒を避け湖畔に出たりと、醒めた傍観者の立場(主催者だけど参加者ではない。)
■ ギャツビーの物語は、なんやかんや言って純愛物語。
対して、
■ ウルフ…は、欲望全開・欲望のままの乱痴気騒ぎで、下品でお下劣、下衆の極み。ドラッグに乱交と犯罪レベル。
■ ウルフ…の、ジョーダン・ベルフォートは自らが先頭で率先して騒いで煽って、完全に騒ぎの中心に居る立ち位置。
■ ウルフ…の、乱痴気騒ぎは同情・共感の余地ゼロ
この映画を面白くないとは言わないが、観終わってしばらくしたら、ジワジワと後味の悪さが広がってきた。この映画に感動するポイントがあるとも思えなかった。
オネーサン方は美人だったけれど、だからもう一度劇場に行こうとは思わない。
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