ソーシャル・ネットワーク [映画 さ行]
ソーシャル・ネットワークを観てきました。
面白かったです。観る価値のある映画だと思いました。
観た後の感想は人それぞれだと思います。
実在の人物を描いているので、その人物のイメージをこの映画で抱いてしまいそうになりがちですが、事実に虚構を織り交ぜて描いたという意味の断り書き(正確な表現は失念)も最後に出てくるし、どのパートやどの人物のどの言動が真実で、どこがどれくらい虚構なのかは観ていても分かりようがありません。
観ていて、どの人物のどの部分に共感するかによって、観る立場も変わってくると思うので感想は人それぞれになる...と思います。
ただ、どの立場で誰に感情移入して観ていようとも、ラストシーンの捉え方はあんまり変わらないんじゃないかと思います。
かなり印象的なラストシーンです。
【以下、ネタばれを、かなり含んじゃってます。】
セリフが多くて早口で、マシンガンのようにしゃべります。相手との会話はろくに成立していなくて、お互いに自分の意見・考え・立場に基づいたことを怒涛のように投げ合っているだけ…(言いたいことを言ってるだけで相手の話は聞いていない、聞こうとしていない、言い負かそうとしている)というシーンが多いです。頭の回転がもの凄く速くなくてはああはできません。それだけでもスゴイ人達だ....と思います。
当然ながら、字幕だとそんな膨大なセリフに付いていけない筈なので、きっと、もの凄く間引かれているんだと思います。(悲しいかな、自分で聞くヒアリング力はありません。)…なので、字幕翻訳者が変わると諸々のニュアンスや印象も変わる可能性があります。また、吹替え版があったら、その方が情報量が多くできるので、印象が変わるかもしれません。
この映画での描き方がすべて真実だとすると(前述の通り、すべて真実なわけではなく、虚構も含んでいると映画自体、宣言している)、マーク・ザッカーバーグは、ガキで、自分の言動の結果への想像力と配慮と思い遣りが全く欠如していて、自信過剰で、独善的で、傲慢なとんでもなくイヤな奴です。(…と私は感じました。)(創造力はあるんですけどね....)
同様に、ナップスター創設者のショーン・パーカーもマークと同類のイヤな奴で、マークはまだガキなので仕方ないところがありますが、ショーンは大人だし、狙いがあってマークに近付き、利用している側面があるので、狡猾な悪い大人という印象になり、一番の悪役になります。(おまけにコカイン常習だし...)
ただ、そこはそれ、(2人のそれぞれについて)映画創りのうえでの誇張があると思うので、割り引かざるを得ませんが、どこまで割り引けば良いのか、何の手掛かりもありません。…なので、観ていて足場の定まらない不安感が付きまといます。
話の展開の早さと、各人物のやることのスゴさで話は怒涛のように進行するし、2つの訴訟の中の時間と過去のフェースブック構築過程の時間と軸が3つ(創成期・訴訟①・訴訟②)あるのでヤヤコシイのと、この観ている足場の不安定さで、この映画にはずっと独特の緊張感があります。
マークを訴えるウィンクルボス兄弟とエドゥアルドは、マークおよびショーンと比べると完全に常識人です。…で常識に基づいた行動をしていたら、マークが常識では考えられない(常識では捉え切れない)行動に出た(それも常軌を逸したレベルで...)ので激怒し、常識人的行動として訴訟に持ち込み、常識人の常識(法律)で非常識人の行動を縛ろうとします。
非常識人のマークは何しろ非常識なので、常識が理解できず、相手がなぜ怒ったのか、どうしていつまでも何に怒っているのか、自分のどこがいけないのかまるで理解できません。訴訟の間も時に退屈そうで、気が向かない時はやりとりもろくに聞いていない感じ。訴訟の結果だって、自分サイドの弁護士も常識人ですから常識に基づいた判断を下し、和解条件を練り始めますが、マーク自身はどうしてそうなのかまるで理解できないし、金なら払えるので理解しようともしていません。
そういう意味では、完全に天才的な才能を持つ故に金には困らないけれど、れっきとした社会非適応者であるという描かれ方です。
この描き方だと、当然、本人サイドと事前接触はできないだろうし、下手に内容を知られたら、名誉棄損だ、上映差し止めだ…という騒ぎになって当然なので、見せずに上映しちゃえという流れなんだろうな...と思います。
当然、本物のマーク本人は不愉快だろうなぁ…と思っていたら、映画にコメントこそ寄せていないものの、フェースブック社では映画館を貸し切りにして従業員集めて観せたとか…。(ジェシー・アイゼンバーグがパンフの中で言及しています。) マーク・ザッカーバーグ、意外と大人の対応です。
実在の人物に関して映画でこう描いてしまう監督・デヴィット・フィンチャーと脚本家も相当ムチャクチャだと思うので、もはやどちらサイドが非常識なのか、ワケがわかんなくなっています。。。。。
【鑑賞日:2011年1月16日】
面白かったです。観る価値のある映画だと思いました。
観た後の感想は人それぞれだと思います。
実在の人物を描いているので、その人物のイメージをこの映画で抱いてしまいそうになりがちですが、事実に虚構を織り交ぜて描いたという意味の断り書き(正確な表現は失念)も最後に出てくるし、どのパートやどの人物のどの言動が真実で、どこがどれくらい虚構なのかは観ていても分かりようがありません。
観ていて、どの人物のどの部分に共感するかによって、観る立場も変わってくると思うので感想は人それぞれになる...と思います。
ただ、どの立場で誰に感情移入して観ていようとも、ラストシーンの捉え方はあんまり変わらないんじゃないかと思います。
かなり印象的なラストシーンです。
すべてはココから始まり
フェースブックは、このエドゥアルドが窓に書いたアルゴリズムから始まる
【以下、ネタばれを、かなり含んじゃってます。】
セリフが多くて早口で、マシンガンのようにしゃべります。相手との会話はろくに成立していなくて、お互いに自分の意見・考え・立場に基づいたことを怒涛のように投げ合っているだけ…(言いたいことを言ってるだけで相手の話は聞いていない、聞こうとしていない、言い負かそうとしている)というシーンが多いです。頭の回転がもの凄く速くなくてはああはできません。それだけでもスゴイ人達だ....と思います。
当然ながら、字幕だとそんな膨大なセリフに付いていけない筈なので、きっと、もの凄く間引かれているんだと思います。(悲しいかな、自分で聞くヒアリング力はありません。)…なので、字幕翻訳者が変わると諸々のニュアンスや印象も変わる可能性があります。また、吹替え版があったら、その方が情報量が多くできるので、印象が変わるかもしれません。
この映画での描き方がすべて真実だとすると(前述の通り、すべて真実なわけではなく、虚構も含んでいると映画自体、宣言している)、マーク・ザッカーバーグは、ガキで、自分の言動の結果への想像力と配慮と思い遣りが全く欠如していて、自信過剰で、独善的で、傲慢なとんでもなくイヤな奴です。(…と私は感じました。)(創造力はあるんですけどね....)
同様に、ナップスター創設者のショーン・パーカーもマークと同類のイヤな奴で、マークはまだガキなので仕方ないところがありますが、ショーンは大人だし、狙いがあってマークに近付き、利用している側面があるので、狡猾な悪い大人という印象になり、一番の悪役になります。(おまけにコカイン常習だし...)
ただ、そこはそれ、(2人のそれぞれについて)映画創りのうえでの誇張があると思うので、割り引かざるを得ませんが、どこまで割り引けば良いのか、何の手掛かりもありません。…なので、観ていて足場の定まらない不安感が付きまといます。
話の展開の早さと、各人物のやることのスゴさで話は怒涛のように進行するし、2つの訴訟の中の時間と過去のフェースブック構築過程の時間と軸が3つ(創成期・訴訟①・訴訟②)あるのでヤヤコシイのと、この観ている足場の不安定さで、この映画にはずっと独特の緊張感があります。
マークを訴えるウィンクルボス兄弟とエドゥアルドは、マークおよびショーンと比べると完全に常識人です。…で常識に基づいた行動をしていたら、マークが常識では考えられない(常識では捉え切れない)行動に出た(それも常軌を逸したレベルで...)ので激怒し、常識人的行動として訴訟に持ち込み、常識人の常識(法律)で非常識人の行動を縛ろうとします。
非常識人のマークは何しろ非常識なので、常識が理解できず、相手がなぜ怒ったのか、どうしていつまでも何に怒っているのか、自分のどこがいけないのかまるで理解できません。訴訟の間も時に退屈そうで、気が向かない時はやりとりもろくに聞いていない感じ。訴訟の結果だって、自分サイドの弁護士も常識人ですから常識に基づいた判断を下し、和解条件を練り始めますが、マーク自身はどうしてそうなのかまるで理解できないし、金なら払えるので理解しようともしていません。
そういう意味では、完全に天才的な才能を持つ故に金には困らないけれど、れっきとした社会非適応者であるという描かれ方です。
この描き方だと、当然、本人サイドと事前接触はできないだろうし、下手に内容を知られたら、名誉棄損だ、上映差し止めだ…という騒ぎになって当然なので、見せずに上映しちゃえという流れなんだろうな...と思います。
当然、本物のマーク本人は不愉快だろうなぁ…と思っていたら、映画にコメントこそ寄せていないものの、フェースブック社では映画館を貸し切りにして従業員集めて観せたとか…。(ジェシー・アイゼンバーグがパンフの中で言及しています。) マーク・ザッカーバーグ、意外と大人の対応です。
実在の人物に関して映画でこう描いてしまう監督・デヴィット・フィンチャーと脚本家も相当ムチャクチャだと思うので、もはやどちらサイドが非常識なのか、ワケがわかんなくなっています。。。。。
【鑑賞日:2011年1月16日】
ソーシャル・ネットワーク (デビッド・フィンチャー 監督) [DVD]
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- メディア: DVD
フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)
- 作者: デビッド・カークパトリック
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2011/01/13
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